🏚 誰も住まない家。誰も手を入れない家。
いつのまにか「見ないふり」をされていた実家。
── でも、あの鍵を受け取った長男おじさんの子供、30歳の若い夫婦だけは、違っていました。
🗝 あの家は、私たちに渡された“バトン”だった
「これ、お前に渡しておくさ〜」
そう言って、うちなーおじさんがポケットから差し出したのは、
赤く錆びた、1本の鍵。
それは、「空いてるけど空いてない」実家の鍵。
── かつて親戚が集まり、笑い声が響いていた、あの家の。
🛏「仏壇があるから住めない」── そんな話し合いばかりだった
数年前から、この家をどうするか、親戚の間で話し合われてきました。
でも出てくるのは、こんな言葉ばかり。
👵「仏壇があるから、勝手にいじれないよね〜」
👨🦳「長男の家でしょ?ウチは関係ないさ〜」
👩🦰「もし住んだとしても…親戚が集まる時どうするば?」
“誰も反対はしないけど、誰も決めない”——
そんな空気のまま、あの家は何年も止まっていました。
🧱 それでも、私たちは諦めきれなかった
築50年を超えた、誰も寄りつかなくなった家。
朽ちた木の玄関、崩れかけたブロック塀、割れたガラス、めくれた屋根。
でも、その佇まいの中に、私たちは“消えかけた物語”を感じていました。
「これは先祖が残してくれたもの。
このまま放置してたら、ご先祖に恨まれる気がする…」
そう口にした時、ふと、希望が芽生えたのです。
🛠 設計士と描いた「再生の設計図」
まず私たちは、建築の専門家に相談しました。
「この家を壊さずに、今の時代に合った形で生かせないか?」
設計士さんが提案してくれたのは、**“ふたつの顔をもつ家”**のプランでした。
- 正月や旧盆には親戚が集まれる“広間”として
- 普段は、地域の人が集まれる“カフェスペース”として
さらに、カフェでは親戚のおばさん達が沖縄料理を振る舞い、
“ちょっと働きたい人が、ちょっと手伝える場所”として地域に開くというアイディアも。
👩🦳「うちのラフテー、カフェで出していいの?」
👵「手伝えるよ〜!週1なら!」
そんな声が、少しずつ現実味を帯びてきました。
🧾 そして、親戚会議で“プレゼン”がはじまった
完成した設計プランを片手に、私たちは親戚一同を集めました。
プロが描いた設計図を見せながら、未来のこの家を語ります。
- 昔の間取りを活かしたまま、広く明るい空間に変わること
- 仏壇のある1番座は、変えずに残すこと
- 手伝いたい人が、無理なく関われる運営スタイルにすること
みんなが静かに聞き入る中、言葉はなくとも、雰囲気が変わっていくのを感じました。
👴「それなら、いいかもしれんな」
👵「うちの代で終わらなくて、よかった」
親戚たちは、**初めて前向きな“沈黙の同意”**を見せました。
その日から、この家の時計が、ふたたび動き出したのです。
☕ カフェという、新しい暮らしのかたち
若い夫婦は、休日のたびに通っては掃除をし、草を抜き、構造を調べて…
やがて、縁側はウッドデッキに生まれ変わり、
屋根にはシーリングファンが回りはじめました。
昔の間取りはそのままに、
カフェのテーブルが並ぶ2番座では、おばさんたちが料理を振る舞う光景が。
👩🦰「うちのばあちゃん、ここで三線弾いてたんだよね」
👨🦱「まさかここが“映えスポット”になるなんてよ〜!」
あの“誰も寄りつかなかった家”は、
地域の人が集い、笑い声があふれる場所へと生まれ変わったのです。
👪 家を“継ぐ”って、住むことだけじゃない
人が手を入れ、想いを注ぎ、形を変えてでも、受け継いでいくこと。
それが、「継ぐ」ということだと、私たちは気づきました。
📢リアルうちなーおばさんのひとこと
👵「あんたたち偉いよ〜。先祖様たちもこんな綺麗に使ってくれて今ごろ喜んでるはずね〜!」
🌺終わり、そして始まりへ
「空いてるけど空いてない家」だったあの実家は、
いま、新しい風を受けて、未来へとつながっています。
ここからまた、**新しい“沖縄あるある”**が生まれるかもしれません。